見守る目、裁く目

赤ちゃんの時、私たちは周囲をありのままに見ていました。すべてが一体であり、どこにもどんな分離もなかったのです。自他の区別がなかったのですから。

ところが少しずつ自我が作り出されると、周囲から見られる存在としての自分というものを感じ始めるのです。勿論最初は身体としてですが。

それまで全体と一つだったものが、周囲と分離している自分がいるという感覚がやってくるのですから、これはもう大変なことになるのです。

とはいうものの、まだまだ幼児のころは周囲の目がやさしさに満ち溢れていたかもしれません。見守ってくれている目を感じることは心地よかったはずです。

それが自我の発達とともに、周囲の目の反応も変化してくるのです。場合によっては、妹や弟が生まれてくるかもしれません。

そうなると、周囲の見守る目が、今度は一転して裁く目という本当に恐ろしいものへと変化することが増えてくるのです。

欲しいのは見守る目なのに、残念ながら裁く目がやってきてしまったのです。子供は、見て欲しいのに見て欲しくないというジレンマに苛まれるのです。

この感覚は自覚があろうとなかろうと、大人になってもずっと続く事になるのです。だから、人の目が気になるという状況が生まれるのですね。

私たちの苦しみの原点はすべてここにあると思って間違いありません。自我である限りは、解決の目処は立たないのです。

自分の本質に戻る以外には、真に満たされることはないということですね。