内的世界に生きる

私はきっと幼い頃からどちらかというと、意識が内に向く傾向にあったと思うのですが、その理由はいたって明らかなのです。

それは、身体が健康ではなかったということです。幼い頃から何となく身体や気分がすぐれないということを経験していました。

病名がつくような病気ではなくて、要するに未病というのでしょうか。とにかく具合の悪さというのをどこか抱えていたのです。

だから自動的にそこを見ているクセが出来上がってしまったのだろうと。極々たまに何だか調子がいいなと思う時には、外向きになるのを知っていました。

それで調子に乗ると、またいつもの不調感がやってきて水を差されるのです。そんなことを繰り返しているうちに、調子悪さが自分の居場所になってしまったのです。

このことは、意識が内向きになるというだけでなく、ある意味で人生に絶望するという面もあったと思うのです。

だからこそ人生とか、人間とか、もちろん自分という存在について、よく観察するようになったのでしょう。

内的世界に生きている、そんなふうに感じていたのですが、その延長上には内側も外側もないという全体性への気づきが待っていました。

全体性の感覚がやってくると、孤独と不安が一瞬にして消えていきます。これはきっと誰にとっても朗報のはずですね。