瞑想をしていると、次第にとても穏やかな静かな境地がやってきてくれますが、それが何とも言えず心地良いのです。
これといった理由もなしにただ嬉しい感じがするのです。一般的な言葉を使えば、ただ幸せなのです。
この時実は、それを感じているのは普段の自分、つまり自我ではないのです。心が静かになっている時、自我も静止しているのです。
初めのうちはこのことに気づけないかもしれません。けれども、この微妙な差にそのうち気付くようになるはずです。
自我というのは理由がないことには関われないのです。自分がただ息をしているだけで幸せだと感じるのは、自我ではありません。
理由なくただ感謝がやってきたとか、自分がただここに在るということがなぜかシンプルに至福を感じるなら、それは自我に隠されていた本当の自分なのです。
この理由がないのに起きることが、真実に近づいている証拠。仮に、理由なく誰かを殴りたいと感じるなら、それは過去に明確な理由があるのです。
自我は過去に生きているので、自分の現在の衝動にはそれなりに過去の原因が隠されているのです。
繰り返し瞑想をすることで、普段の生活の中で今は自我に支配されているとか、あるいは自我が落ちて真実に近づいているということに気づくようになるはずです。