自分(自我)に実体はない

自分と全く同じ肉体、同じDNA、同じ記憶、同じ経験を積んだ存在がいたとしたら、それはもう自分と区別をつけることができません。

けれども、私たちはその瓜二つの人を自分だとは思わないのです。当然、その人の方でも自分のことを瓜二つのもう一人とは分けて見るのです。

第三者から見たら、その二人を区別することは不可能なのですが、当人同士はそれぞれが自分ともう一人を明確に区別できるのです。

これは何を意味しているのか考えてみると、個人としての自分というのは身体や経験からくる記憶をベースにしているのではないということ。

ただし自分にまつわるあらゆる記憶を遮断してしまうと、自分がナニモノなのかは分からなくなってしまうはずです。

それでも、この自分がいなくなるということはありません。結果から言うと、自分というのは単なる思考に過ぎないということです。

思考が自他を生み出して、その両者を区別するわけです。だから自分という実体はないということです。ただの思考の働きに過ぎないのです。

その思考の活動が停止してしまえば、自分(自我)は消えてしまうのです。まるで、夢から醒めた途端に夢の中の自分が消えてしまうのと同じです。

それが私たち(自我)の姿なのです。ちょっと哀れですが、受け入れるしかありません。

でも安心して下さい。個人としての自分の背後に在る真の私たちの実在は、思考とは無縁の意識なのですから。それは永遠であり、生まれたり死んだりすることもないのです。