理由がある幸せは偽物

本当に幸せな人というのは、自分が幸せなのか不幸なのかということについて、考えることがないのだろうなと。

逆に言えば、自分は幸せなのだろうかと考える人は、本当には幸せな人ではないということになるわけです。

自我の幸せとは、◯◯だから幸せだという具合に、必ずや幸せであるための理由が必要なのです。

その理由がなければ、幸せかどうかを判断することができないのです。判断が必要というのは、幸せを思考でとらえているということ。

そうなったら、その幸せは誰かとの比較であったり、不幸ではないから幸せなのだというように、理屈がついて回るのです。

それは左脳が判断を下した幸せであるのです。けれども、真の幸せには思考が入り込む余地がないのです。

一方で、右脳というのは常に満たされているのです。もう結論が出たと思います。要するに、真の幸福とは左脳が落ちて右脳だけになること。

これ以外にはないということです。それを擬似体験できるのが瞑想ということになるのですね。

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