もしもあなたが、安心を強く望むなら、一時の安心を手に入れることはできても、その後すぐに不安が戻って来るということを知っていますか?
同じようにして、幸福を強く望めば、一時の幸福感を得ることはできるとしても、またしてもいずれは不幸な感覚がやってくることになるのです。
誰かの事を強く愛するなら、その強さの分だけ相手を憎むときがやってくるということです。で、何でそんなことになってしまったのかと驚くとともに、不本意な気持ちになるはずです。
なぜこのようなことが起きるのかというと、それは何かを強く望めば、それを強く選択するなら、その真逆も一緒に選んでいることになるからです。
生は二元性でできているとは、そういうことです。分かりやすく言えば、もしもあなたが一枚のコインを放り投げて、表が出るようにと願っても、二回に一回は裏が出るということです。表しかないコインは、神には作れなかったのです。
表が出て欲しいと強く願えばそれだけ、裏が出たときに落胆が大きくなるはずです。強く選択すると、それだけ苦しみも大きくなるというのは、そういうことです。
何かを信じるなら、信じないも一緒についてきていることに気づくことです。だから、誰かの事を信用していたのに、裏切られたなら、憤慨して、もう信じないという状態へと遷移するのです。
二元性という特徴を持った生を生きるとき、何かを強く選択すれば必ずその反対も同時に選択してしまうということです。それを選択する前から知っていれば、ひっくり返ったときに、驚かずに済みます。
そして一番いいのは、初めから選択しないという生き方をするということです。不安であるなら、不安の中にいることです。そうすれば、いずれは不安も安心もなくなってしまうはず。
嬉しいことがやってきたら、思い切り悦び、辛いことがきたらしっかり悲しむこと。どちらかを選ばずにいれば、生はあなたのお友達になってくれるのです。