可哀想に負けない!

若い頃から自分の中で、モットーにしていたのが、タイトルにも書いた「可哀想に負けない!」なのです。このことは、このブログでも過去何度か書いたことがあります。

なぜかまたそのことを書きたくなったのですが、それは、実は未だに私自身の中に可哀想に負けてしまいそうになる部分があるからです。

自分と相手の意向が異なる時に、まあいいかという感じで相手の気持ちを優先してしまうのです。それは、自分を優先したときの罪悪感がいやだからなのです。

自分の気持ちを押し通すことで、相手を可哀想な状態にさせてしまう罪悪感が、どうしても辛くて、その苦しさを感じるくらいだったら、ちょっと我慢をして相手の気持ちを優先しようとしてしまうのです。

これは誰の心の中にも多かれ少なかれあるものでしょうね。そして、このことが原因となって人生をとても苦しいものにしてしまっている人が沢山いるのも事実なのです。

可哀想な状態でいる相手をただ冷静に見続ける、見守り続けるということを練習することがとても大切なのです。

なぜなら、可哀想に負けて、相手の気持ちを優先し続けてしまうと、自己犠牲を積み重ねて怒りを蓄積することになるだけでなく、相手の人生にとってもよくない結果を生むことになるからです。

たとえば、可哀想に負けて、いやなのに相手の愚痴を長時間聞いてあげてしまったとするなら、自分も疲労困憊することになるし、相手も自分で問題と向き合うチャンスを奪われてしまうということ。

愚痴を聞いてもらった人は、すぐにまた愚痴を聞いて欲しいと言ってくるに違いないからです。なによりも、可哀想に負けるのは相手のためではなくて、自分自身の罪悪感からの逃避だと気づくことです。

可哀想に負けると、両者にとって百害あって一利なしだと断定できます。心当たりのある方は、是非とも今日から、「可哀想に負けない!」を実践して下さい。