以下のoshoの気持ち良い文章を味わってみてください。
『私は人格には全く興味がない
道徳にもいっさい興味がない
私は人々に不道徳になるようにと
言っているわけではない
私は人々に意識的になるように
意識を生み出すようにと言っている
そしてそれこそ瞑想の真意だ 』
まさに我が意を得たりと言ったら、とてもおこがましいのですが、でもそのくらいに激しく同意しますという感じなのです。
元々父親譲りなのかもしれませんが、正直なところ、個人個人に対してそれほど特別な興味や関心というものが薄いのです。
つまりは、人格という自我が作り上げたその人の社会的顔には殆ど興味を持ったことがないのです。
人とのご縁を大切にしなさいという言葉がありますが、確かにそれはそうなのだろうと思ってみても、現実はご縁がすぐに切れてしまう。
そして、道徳も同じ。興味がないというよりも、もう少し積極的な意味合いでどうでもいいという感覚を持っているのです。
やっぱり大切なことは、いかに意識的であり続けられるか?もうこの一点しかないというところに行き着くのです。
自分のこうした傾向が嫌いなわけではないし、今更変えていけるような物でもないだろうし、今回はこういう人生なのだろうなと。