あまり好きでも得意でもないと感じていた瞑想を、最近はよくするようになりました。もしかしたら、生真面目さが取れたからかもしれません。
以前は、朝起きてすぐに決まった時間だけやるというのを習慣付けてやっていたことがあったのですが、それは結局2年くらいしか続きませんでした。
近頃の傾向は、何の計画もないままに、ただソファに腰掛けて気づくと瞑想の中に入っているといったような形になってきました。
それが功を奏しているのかもしれませんが、瞑想のメリットばかりを感じられるようになってきたので、とてもいい具合なのです。
夜ともなると、少し気候が冷えてきたにもかかわらず、瞑想しだすと身体がポカポカしてきて、冷たいと感じていたつま先なども暖かくなってくれます。
瞑想の本当の目的は、瞑想している「私」が消滅することなのですが、それはまだまだとても実現しそうにないので、気楽に気張らずにやっています。
どこまでいっても、「私」は居残り続けますね。ただし、いろいろなことが分かってきたことも事実としてあります。
一つは、日頃自分の意識というのは、荒いゴツゴツしたものから、精妙なものまでを含む意識のエネルギースペクトラムとでも言ったもので出来ているのだと分かったのです。
瞑想しつつ、次第に意識が深いところに進んで行くにつれて、荒削りの意識が徐々に落ちていって、より精妙な意識のエネルギーになっていくのです。
そうした静かで精妙な意識というのは、実はずっと在り続けているものなのですが、どうも気持ちが外側に向かっているときには、気づけなくなっているらしいのです。
それは例えて言えば、小さくてかすかな鈴の音がずっとしているのに、大音量のロックが流れているから聞こえてこないというようなものと同じなのです。
荒い波動の意識で生活していると、精妙な波動の意識に気づくことができないのです。それが、瞑想によってとても静かで穏やかな意識だけがクローズアップされてくる感じなのです。
それはとても心地いいものです。そして、それにあわせるようにして、明らかに脳内快感物質が繰り返し分泌されるのをはっきりと感じることもできます。
何も決めずに、気楽な感覚でやりたいときだけやるといった瞑想を、今後も続けていけたらいいなと思っています。みなさんにも、お勧めです。
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