もしも、自分が身体ではないとしたら、身体の内側と外側という概念に意味を持たせることができなくなってしまうのは自明です。
自分が肉体であるとの強い思い込みがあればこそ、自分とはこの肉体の内側の小さなエリアのことだし、肉体の外側には自分ではない広大な世界が広がっているという認識となるわけです。
赤ちゃんも私たちと同様にして、目を見開いてこの世界を見ているのですが、自分の外側に広がっている世界を見ているという認識はありません。
なぜなら、自分が肉体だという思い込みがまだ出来上がってないからです。つまり、内側も外側もない状態で生きているということです。
これは、赤ちゃんだけでなく、あらゆる動物も同じです。人間だけが、3歳くらいの頃から、どうやらこの身体が自分なのだという想念が生まれてきます。
この身体と自分の同一視こそが、ここに私がいるという、「私」という想念が生み出される結果を作り上げるのです。
そうやって、徐々にではあるものの、自分はこの小さな身体の内側だし、自分の外側には大きな得体の知れない世界があると思うようになるのです。
そして、そのことは決して信じて疑わないくらいに、強固なものとして自分の中で信じ込むことになるのです。それはもう本人にとって、真実となってしまいます。
一般的には、この内側と外側の世界が在るということを、疑ってかかる人は少ないかもしれませんが、世の中には物好きもいて、本当にそうなのかとやる人がいるということです。
私もそのうちの一人です。そしてその疑いは日増しに強くなっていって、最近では本当の自分は身体でもなければ、あれでもこれでもない、何もないものだということが分かってきました。
今すぐにでも、内側も外側もないということを感じることができます。そのときの感覚をあえて言葉で表現すると、「自分はどこにもいない」=「自分はあらゆるところに偏在している」となります。
そしてそれは一種独特の感覚であって、快感でもなければ苦悩でもない、ただ在るという感覚が一番近いかもしれません。そしてそれは、平安であり、静寂でもあるのです。
もしもあなたが何かに苦悩しているなら、それは自分は身体だとの思い込みが原因です。自分がどこにもいなければ、傷つく対象もないので苦悩は起きません。
それでも不思議なことに、自分という気づきだけは純粋な意識として残ります。だから、本当に実在しなくなるのではないので、安心して下さい。
本当の自分とは、「無」だとの気づきとして、永遠不滅の実在なんです。だから何事も深刻になる必要などさらさらないということを分かって欲しいです。