意地を張らない

若い頃から自分の人生において、邪魔だなあと感じていたものの中に自分の意地っ張りな性格というものがあります。

意地を張らないでもっと素直に何でも思ったことを表現したりすることができたら、随分と物事がスムーズに行くのになあと思うことがよくありました。

小学生のときに、何か悪いことをして廊下に立たされていたことがあったのですが、先生に自分から謝るということができなくて、ずっと放課後暗くなるまで残されていた記憶があります。

悪いことをしたとは全然思ってないのに、謝ることなど決してできないというような気持ちが強かったように覚えています。

なかなかしぶとい意地の張り具合なのですが、でもそのくせ本当にはとても弱虫で怖がりな面もあるので、我慢の程度を超えたらたちどころに意地などどこかに行ってしまうはずなのです。

そういうことなので、この薄っぺらなつまらない意地を張ることができたことも、それだけ周りから守られていたからなんだろうと今なら分かります。

夕飯に嫌いなものが出て、意地を張って一口も食べずに、お腹を空かしたままいると、そっと母親が何かおいしいものを持ってきてくれた、そんなイメージが残っています。

自分の命を賭けるような意地を張るのでしたら、ある意味すごいなとも思いますが、そうではないので私の意地は甘えのようなものを土台としている気がします。

つまり、意地を張っていれば、誰かが助けてくれるというようなニュアンスですね。意地を張るのをやめるというのは、それなりに勇気がいることかもしれません。

だからこそ、心を癒していくときには、この意地を張るということを手放していくことも大切なことの一つだと思うのです。

意地はこだわりやわだかまりなどとくっついて、人の心を頑なな状態にしてしまうのですから、あっても誰も得することはありません。

意地を張らずに、物事をなるべくあるがままに受け止めて、一日を素直に感謝できるようになりたいものですね。

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