原発について その6

トイレをリビングの真ん中に作る人は誰もいません。もしも一部屋しかなければ、部屋の隅に置くでしょうし、何部屋かあれば別の部屋の隅に置くと思います。

土地が広い昔の田舎の家では、渡り廊下を挟んだ別棟にトイレがある場合が多かったと思います。でもそれでは、寒い冬など不便なので、結局今のようなトイレの場所が定着したんだと思います。

オフィスのあるマンションでは、ごみステーションという名前でエントランスの脇に6畳くらいの広さの建物にゴミ置き場が作ってあって、とても便利です。

分別されたゴミを回収される日まで、部屋に置いておかなくてもいいからです。このようにして、自分の身近な空間には、臭いものなどを置いておきたくないというのが人間の本能ですね。

これは、臭いものだけではなくて、危険なものを含めて自分に都合の悪いものと言い直すことができます。原発はその最たるものでしょう。

自分の身近に置いておいてはとてつもなく危険なので、たとえば東京電力は自分の管内の外である新潟県や福島県に原発を建てて、はるか離れた場所から送電しているわけです。

これはトイレの場所をどこにするかということと違って、誰かの安全を犠牲にすることになると分かってやっていることですので、とんでもないことです。

やっぱり、東電はどうしても原発を推進していきたいのなら、東京で原発を建てるべきだと思いますね。それができないなら、辞めるというのが筋でしょう。

昨日のニュースで見たのですが、日本とアメリカが共謀して、モンゴルに放射性廃棄物を埋めようと画策しているというのを知りました。

国内のどこにも、反対勢力が強すぎて捨て場所がなくて困り果てたすえに、他の国をターゲットにするなんて、あきれて物が言えません。

でも、こうしたことは一人の人間の心の中のメカニズムと全く同じだと知る必要があります。都合の悪い部分を抑圧して、存在を分からないようにしてしまおうとするのです。

そうしたことは場当たり的な解決方法であるのは明白で、結果として病気になったり具合が悪くなったり、人生で辛いことが起こることになるのですから。

癒しとは、そうやって隠してきた暗闇の部分を曝け出して、丸ごと認めてしまうことです。勇気もいるし、労力も必要ですが、そうやって向き合っていくことで希望が見えてくるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です