私たちは、何か問題が発生したときには、その内容をよく吟味してできるだけ速やかにそれを解決しようと努めます。
今回の大震災でも、さまざまな不備や疑問、問題点などが沢山露呈してしまったと言わざるを得ません。大切なことはそれを真摯に受け止めて、反省して改善できるところを探して活動していくということです。
ところが、そのときにどこに問題があったのかということと関連して、誰が悪かったのかということに話しの中心が反れて行ってしまうことがあると感じます。
言ってみれば、うまく事が進まないときの悪者探しの状態ですね。この悪者探しをしてしまう心というのは、その根っこに自分はそれほど悪くはないというものが潜んでいるのです。
ここを見逃してはいけません。なぜなら、誰かの間違いを責めてしまうその気持ちそのものが、何かの間違いを引き起こす原動力になっているからです。
したがって、問題が発生したときに悪者探しをすると、その次にまた同じような問題を発生させる要因を作り出してしまうことになるのです。
それでは堂々巡りになってしまうのは目に見えています。私たちに最も必要なのは、勇気を持って悪者探しをやめることです。
現象だけをよく見つめて、ひたすらできる手助けをすることです。ややもすると、どこに責任の所在があったのかを分析しなければ、改善できないと考えるかもしれません。
それはもっとなことですが、そこは注意深くやらなければ結局誰かが責任を取って終わりになってしまいます。
実際に被災された方々の言葉にも大きく二通りのものを感じることができます。一方は、こんなに助けてもらってありがたいというもの、もう一方は国も行政も何もしてくれないという不満。
その気持ちは痛いほどにわかるのですが、私たちはみなできることをするだけです。誰かを責めることをやめない限り、苦しみは続くということを決して忘れないことだと思います。