何かを信じて一直線に突き進んでいくということには二つのことが考えられます。一つは、信じたものが自分の幸せに貢献できるものであった場合には、益々幸せに近づいていけます。
しかし、それが自分の幸せには貢献できないものであった場合、これはとても悲惨な結末を迎えることになるはず。実は、これが今の私たちと言っていいと思います。
私たちが共通して一心不乱に信じてきたものとは何だと思いますか?それはこの世界そのものです。何とは言わず、今見て聞いて体験しているものすべてです。
いやいやただこの世界という現実の中で生きているだけであって、それを信じているわけではないと普通は思うでしょうね。
ですが、よ~く考えてみると、すべては自分の知覚によって得た刺激を自分なりに解釈しているに過ぎません。その知覚を信じているからこそ、この世界があると思っているのです。
それが当たり前過ぎてしまうために、自分が信じているということを忘れてしまったのです。だから本当は、現実とは自分が信じているものの総称でしかありません。
もしも自分の知覚を信じることをやめたらどうなるか、考えることを拒絶してしまうくらいに困ってしまうはずです。
もしも今とても幸せだと感じるのでしたら、何の不安も悩みも何もないというのでしたら、それはとてもありがたいこととして、その幸福を享受していればいいですね。
しかし、何とはなしに閉塞感があるとか、鬱々とした気持ちを感じていたり、真に満たされているとは思えないというのであれば、冒頭書いたことを思い出すことです。
つまり、信じてきたものが間違っていた結果だということを思い出すのです。自分が心底信じてきたものは、自分を幸せにするものではなかったのだと。
そのことを潔く見つめることができた人は、自分を幸せにしてくれる全く別のものを信じることができるようになる可能性があるということです。
そのことについて、「奇跡のコース」では詳細に教えてくれています。興味があれば、読んで見ることをお勧めします。自分で読むのは面倒という場合には、講座にいらして欲しいと思います。