昨日のつづきです。
意味がないということは、価値がないということを言おうとしているのではなくて、価値があるとかないとかという価値判断ができないということを示しているというお話しをしました。
そして自分の中ではこの価値判断をしないという決意をこめて、「この世界には意味がない」という言葉を唱えるようにしているとも言いました。
それは価値判断がすべての苦悩の根源だからということです。今日はそのことについて少し詳しく書きたいと思います。
私たちは絶えず何かにつけて価値があるかどうかということを判断しながら生活しています。これは意識してもしなくても、物心ついた頃からずっと続いていることです。
形があるものにしても、形のないものにしてもありとあらゆるものに対して、この価値の有無、価値がどれだけあるのかを気にしているのです。
それは勿論自分にとって対象となるものや人に対して価値があるかどうかという判断をしているわけです。価値がないものは興味を持ちませんし、価値があると思えば大切にするし近づきたいとも感じるわけです。
その本質は自分に価値があると思いたいという強い欲求を持っているからにほかなりません。それは、自分は不完全な存在だという感覚を誰もが持っているからなのです。
不完全であるということは、何かが足りないという欠乏感と全く同じものです。逆に満ち足りた感覚というのは完全であるという思いからくるものです。
そして不完全であると思い込んでいる自分を完全なものにして満ち足りた心地になりたいと常に思っているのです。
そのことが自分を価値のあるものと思いたいという気持ちを作っているのです。実はそれを実現しようとして、大変な自己犠牲を払ってしまっているとも知らずに。
それがすべての苦悩の大元なのです。しかし、不完全なものを完全なものにすることは不可能なのです。 何事にも意味はないとして、価値判断を放棄することができたら、苦悩はなくなります。
そうすると、きっと本当の自分はすべてに満たされてた完全な存在なのだということに気付くことができるのだろうと思っています。