エゴとの同一視

エゴというのは、自分とはまとまりのある一つの心と肉体を持った存在であると思い込んでいる心の部分のことを言います。

それなら自分はエゴそのものだと捉えられるかもしれませんね。誰もが、自分は一人の人間としてこの世界で生きていると信じているからです。

しかし、心の部分という表現をしたのは心の全体ではないからです。心のうちでエゴとは真反対の部分も実はあります。その心の部分のことをどう呼んでもいいのですが、愛に満つる心だと思えばいいです。

そうした二つの部分に自分の心が分裂しているということです。そして、そのエゴ以外の部分については自覚することがほとんどできません。

だからこそ、自分はエゴそのものだという自覚になってしまうのも無理のないことです。しかし、本当は、そのどちらでもないほんの小さな心の部分があるのです。

それはエゴの部分でも愛の部分でもない、別の小さな部分なのですが、実は自分がより幸せになっていけるかどうかは、その小さな心の部分に全面的に託されています。

癒しとは、まず初めに自分とはこの小さな心の部分であると気付くことなのです。エゴの心の部分が自分自身だと思ってしまっているのは、この小さな部分がエゴにのっとられてしまっているからなのです。

だからこそ、我々は自分をこの世界で立派な人物に育て上げようとしてしまうのです。それこそがエゴが企む作戦の表面的なものだからです。

私たちがどんなに自分のことをエゴそのものだと思えるとしても、それは事実ではありません。自分とは、本来その小さな心の部分であるということです。

その小さな部分こそが、エゴを教師として選ぶのか、愛の部分を教師として選ぶのか、どちらにするのかを決めることができるのです。

今日から自分をエゴと同一視するのをやめることです。それには小さな中立の心の部分を見つける必要があります。それは、選択することができるという意識を取り戻すことで実現できます。

エゴを敵対視することに意味はありませんが、エゴを自分自身ではないと分かることはとても大切なことなのです。エゴに操られないようにするために、その小さな部分をしっかり育てていくことですね。