求めよ、されど得られず

私は若いときにはお金がない割に欲しいものが沢山あって苦労しました。年齢を重ねていくと、次第にそれほど欲しいと思うものがなくなってきます。

それでも、何もいらないという境地にはならないのが普通だと思います。私たちは欲しいもの、望むものが手に入ると幸せになると錯覚しているのです。

確かに手に入れた瞬間は喜びがやってきますが、それはほんのつかの間の出来事であって、またすぐに次なるものを手に入れようとして頑張るのです。

そうやって長い間生きてくると、さすがに何を手に入れたとしても本当には満たされることはないんだなと分かり始めてしまいます。

「求めよ、されど得られず」これこそがエゴの策略なのです。私たちが本当に求めているものとは、心からの満足感です。

それはどんなに外側に求めても得ることは出来ないのですが、エゴはそれを隠して求め続けなさい、そうしたらいつか満たされるはずと吹っかけてくるのです。

しかし自分を見つめる習慣がついている人ほど、これはトリックだと気付くことになります。エゴの言われるままに外側に求めているだけでは決して満たされないのです。

心から満たされる状態、それは永続的な心の平安をもたらすことになり、それこそが本当の幸せなのですが、今までのやり方では決して得られないとはっきり理解する必要があります。

そうした満たされた心というものは、本当はもうすでに私たちの心の奥にあるのです。ただそこにふたがされてしまっていて、分からなくなってしまっているだけなのです。

ですから、そのことに気付きさえすればいいのです。何も外側に求めなければいいだけだったのです。逆に、外側から何かを手に入れるということに意識を向けてきたからこそ、このことに気付けなかったのです。

何かの拍子にそのことに気付いてしまった体験をした人はきっと沢山いるはずです。私もあるときに自分は完全に満たされている、足りないものは何もないという状態になったことがあります。

それはあまり長い時間続かなかったのですが、でもその感覚は今も明確に残っています。多くの先達たちが座禅や瞑想に明け暮れていたのはそうしたことに気付こうとしてのことでした。

誰の心の中にも必ず自分は満たされていると自覚している部分があるのです。その部分と繋がることさえできたら、完全な幸せが手に入ったと感じることでしょう。

どうしたらその満たされた心の部分を自覚することができるようになるのでしょうか?そのヒントとなることをこれからもこのブログで綴って行きたいと思っています。