意欲

何に対しても意欲的な人っていますよね。正直にすごいなと思ってしまいます。そういう人と自分を比べると、とても恥ずかしい思いがしてきます。

何をするにしても、それを続けていくためには意欲がどうしても必要です。この意欲の源とは何なのだろうと時々考えることがあります。きっと、自分が意欲的ではないからですが…。

意欲というと、人の言動のパワーの源と言えるのですが、例えば、底なし沼にはまって必死にもがいて抜け出そうとするのは、意欲とは言わないですね。

意欲という場合には、何か意識的なものを感じます。ですから、あきらめてしまっている人は当然意欲が少ないという結果になってしまうでしょう。

また、依存心が強くて他人にやってもらおうという気持ちが、自分から進んでやっていこうとする積極さよりも勝ってしまうと、やはり意欲はなくなってしまうかもしれません。

意欲は、意志の欲と書きますから、こうありたい、こうしたい、というような自己像のようなものが明確にあって、その願いが意志の力となって意欲を生み出すのかもしれません。

私はもう一年ものあいだ、「奇跡のコース」を読んでいますが、それにはもちろんほんの少しの意欲を使っているのでしょう。その意欲は単純に自分が幸せになりたい、そのためにはどうすればいいんだろうというものです。

人生そのもの、毎日の自分の生活に100%かかわってくることですので、さすがに意欲の少ない自分でもまだ継続することができているようです。

それで分かったことなのですが、意欲はそんなに大きく持たなくてもいいということです。意欲はあればいいのです。たとえほんの少しであろうとも。それさえあれば、ただそれを利用するだけです。

もっとも大切なことは、意欲の大きさではなくて、何に対するものなのかということだと思います。物質的なものを手に入れることに意欲を燃やしても、人生は決してよくはならないからです。

意欲を効率よく使って、最大限自分が幸せになるために使うことをそれこそ意欲的に考えることだと思います。

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