それこそ、瞑想のアートのすべてだ。できる限り内側深く、あなたの存在のまさに中心へと入るのだ。自分の存在の中心においては、あなたは永遠だということに、驚き、感嘆するだろう。そこには死はない。死など、あったためしはなかった。
by osho
ときに独り静かに内側へと入っていくと、普段これが自分だと感じていた存在が不確かになっていくのを見ることがあります。
それはとても不思議な、そして足場がなくなっていくような心許ない感覚なのです。だから長くその状態でいることができません。
きっと無自覚に避けてしまうのでしょうね。自分のことをただの記憶データの集まりだなどとは思っていないはずなのですが、結局のところそれを認めざるを得ないのです。
なぜなら、瞑想状態になって記憶へのアクセスが無くなるに従い、やっぱり自分という存在が曖昧になってしまうのですから。
それでもめげずにじっと見ていると、ただ気づいていることには大きさも位置も何もない、いわゆる「何もなさ」であると分かるのです。
それは空間とか時間に縛られることのない、またはそれらを含めた全体性へと広がっているという感覚になるのです。
そこからいつもの個人という認識へと戻ってくると、何とも大それた勘違いのままに人生は進んでいくんだなと思い、どこかで苦笑いしているのかもしれません…。