様々なクライアントさんとセッションをするにつけ、闘っているなあと感じることが多々あるのです。
生きるということはまさに闘いなんだなと思わざるを得ないのです。けれども、それじゃセッションにならないので、何が闘いなのかを明確にする必要があるのです。
その前に闘うということは、実は自我にとっては死活問題なのです。なぜなら、人が闘うことを放棄した途端に、自我の動きがスローになって終いには消えていくことになるからです。
つまりは、私たちは個人として存続しようとする限りは、闘い続ける必要があるということです。ここの理解が絶対的に必要です。
実際に闘うということの中には、具体的にどんなことが含まれているのか。例えば、他人と闘う、人生と闘う、自分自身と闘う、社会と闘う等々。
いくらでも出てきます。闘うというのは対象との間での関わり、あるいは従事することも含まれます。何としても◯◯しなければなども闘うことですね。
比較すれば闘いが待っています。欲望を叶えようとすれば闘いに突入するし、自己否定すれば自己肯定できるように闘うことになるのです。
このように、闘うことを挙げていけばキリがないのです。逆に闘わないということを見ていく方が賢いかもしれません。
対処せずにそれをそのままにしておくこと、例えば不安や心配事がやってきてもそのままにして見守ること。受容するということですね。
そうやってまずは闘うとは何を意味しているのかに気づき、そこから少しずつ離れていくように努めること。
そうすれば自然と極端を指向する自我の活力が減って、その分穏やかに真ん中を生きていくことができるようになるのですね。