無選択の代わりに見守ること

選んではいけない。無選択こそあなたを自我から解き放つ。そのように osho が繰り返し言うのは知っています。

けれども、私たちの毎日の実情はといえば、選択また選択の連続で成り立っているのですから、無選択など土台無理なこと。

ずっとそのように思って、随分と不可能なことを言うんだなという理解でいたのです。ただ、無選択が結果として中道に導いてくれるというのは分かっていました。

私たちは選ぶことによってこの二元性の世界をより確固としたものにしているということも認める必要があります。

もしも本当に無選択でいられたなら、この世界は二元性から非二元へと変わってしまうはずなのです。

選ぶということはそれくらい、重要なファクターであるということですね。さて、だからと言ってじゃあどうしたらいいのか?

私が辿り着いた一つの方法ですが、無選択を指向するというよりも、ただ見守るということでいいのかなと。

自分のマインドの中には選択をし続けている部分が山ほどあるのですが、それをとにかく見守り続けるのです。

それによって、自分の中心では無選択と同じ状態になり、そのことによって中道という理想の生き方へと変わっていくはずですね。

“無選択の代わりに見守ること” への3件の返信

  1. 選択をする、しない、も、二択なんですね。
    する、しない、の自分を観ていること…。
    確かに、静かな感じです。

  2. しんとした…群青の中にすーんと沈んで行くイメージがわきました。
    静寂が至福とつながります。至福はもっと暖色のイメージだったのですが、今日は、そんな感じがします。
    ありがとうございました。

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