自我の得意技を放置する

より自然に、より自由に、より無邪気に、これらはどれも言葉は違えど同じことを表現していると言えますね。

どれも自我にとっては苦手なことばかりです。自我は不自然に生きるし、不自由さを常に感じているし、無邪気さを隠しがちになるのです。

逆に、自然に生きている人はただ自分のままでいることができる人。肩肘を張らずに、ゆったりとして柔らかい。

何者かになろうとするあらゆる悪あがきをやめてしまった人。闘わず、悠々として自分を見守ることができる人。

自由に生きるとは、究極的には自我から解放されて自由になるということです。自我は自分自身で作ったルールで自分を縛る。

だから無邪気さは邪魔になるのです。一方で無邪気な人は、ノールールで無防備でもあるのです。

実は自然で自由で無邪気に生きることを目標にしてしまったら、かえって不自然さや不自由さがやってきて、そして無邪気ではいられなくなってしまうのです。

目標を持つことで自我が活気づいてしまうからです。生後身につけてしまった自我の得意技を、放置することができたら、自然、自由、無邪気は自ずと向こうからやってきてくれるはずですね。