人は時として、右にも左にもどこにも行き場がなくなってしまい、完全に手詰まりとなって、こう着状態に陥ってしまうことがあります。
勿論、自分ではこの現状を何とか打破したいと追い詰められた気持ちで頑張ってみるのですが、結局どうしようもない出口の見えないところに入り込んでしまったようになるものです。
このような場合に、いくつか考えられる問題としてあげられることの一つは、自分をありのままに見ようとしていないということがあります。
自分に都合のいいことはいくらでも受け止められるのですが、少しでも都合が悪くなると、そのことを無視してみたり、受け入れられない心の状態のままでいたりするのです。
例えば、困り果てて誰かに相談したとして、相手が親切に核心をつくようなアドバイスをくれたとしても、そのことが自分にとって認めたくない内容だったとすると、それを聞かなかったことにしようとするのです。
そうしておいて、今度は別の人に同じ相談をするのですが、その人にもやはり同じようなアドバイスをされてしまうと、誰も自分のことを分かってくれないという気持ちになってしまいます。
そうして、誰に相談してもいいアドバイスをもらえないし、自分一人では解決することもできないし、どうしたらいいのだろうということになるのです。
そしてもう一つ、膠着状態を引き起こす要因として考えられるのは、何かのルール、あるいは信念、信条に基づいてその問題を見ることしかできないような心の状態になっている場合です。
つまり考え方そのものが膠着してしまっていて、いろいろな角度から検討してみるという柔軟性を欠いた状態になってしまっている場合ということです。
例えば、親との同居が気詰まりになっていて快適な一人暮らしをしたいのだけど、そのためには沢山残業をしてお金を溜める必要がある。しかし、働いてばかりいると、ストレスが溜まってイライラした毎日となってしまう。
それを発散するために高額をはたいてエステに行ったり、旅行にいったりしていて一向に一人暮らしのためのお金が溜まらない、のような悪循環が起きたりします。
これもある種の膠着状態ですね。エゴはこうした理屈を手放そうとしないので、それに嵌ってしまうと出口のない循環の輪の中をグルグルすることになってしまうのです。
自分が今まで培ってきた常識や考え方をエゴは大切に温存して、いつでもそれを利用して自分を縛ろうとするのです。
もしも、何となく膠着状態に陥ってるかもしれないと感じることがあれば、このようなことをじっくりと見つめてみることをお勧めします。そうすれば、おのずと循環の輪のどこか一部を切り離すことができるはずです。