この世界では、常に何かが起きています。それはただ起きているだけなのですが、そこに思考が介入することで、解釈が様々にできるようになるのです。
そのことを一般的には投影と呼ぶのです。つまり、その人のマインドの中身を外側の世界へと投影して見るということです。
たとえば、ある人のマインドが悲しみに満ちているとすると、この世界で起きていることを悲しい出来事だとして捉えることになるということです。
別の人のマインドに怒りが溜まっていると、その人はこの世界の様々な出来事を怒りを持って見ずにはいられなくなるのです。
マインドというのは、エゴによって作られた心を意味しますので、そのマインドが活躍している限りは、この世界を概ね否定的に見ることになってしまうのです。
したがって、マインドの働きが弱って、思考と知覚の最強コンビに陰りがみられるようになったときにだけ、私たちは投影から解放されるのです。
マインドによる投影から開放されると、どうなるでしょうか?それは勿論、対象に意識が向かわなくなるということです。
究極の一人称、対象を持たないただ在るだけの自己に純粋に気づくようになるということです。それが、マインドが無い状態の純粋な意識です。
それこそが、私たちの本質なのですね。