「確かさ」が消えるとき

山などに行って、人が何度も繰り返し歩いた末にできた道を歩いていると、安心できますね。その道には「確かさ」があるからです。

反対に、前人未到の場所で道なき道を歩くときには、「確かさ」は微塵もありません。だから、人は不安になってしまう可能性があるのです。

私たちは、無自覚のうちにいつもその「確かさ」を支えにして生きているのです。自分という人物が誰なのかを知っていることが、「確かさ」の一番底辺にあるのです。

けれども、瞑想をするなど、どんな手段を使ってでもいいので、意識が真実の方へ向き出すと、今まであったはずの「確かさ」が脆くも崩れていくことになります。

前後左右不覚になって、自分は何一つ「確かさ」を持ち合わせてはいないということに気づかされてしまいます。

そして最後には、この自分さえ一体本当はナニモノなのかが、分からなくなるのです。一番頼りにしていた「確かさ」が消えてしまうのです。

それは慣れないうちは、単なる不安というよりも恐怖に近い感じを受ける人もいるかもしれません。それでも、そこから一歩も引かずにその不安の中にい続けると、突然真理が更に近づくのです。

それは、「確かさ」を喪失することこそが、本当は究極の平安だったというところに行き着くからです。自分が誰でもなくなったとき、過去が追ってくることはもうありません。

勿論、未来に対する不安も消えてしまいます。なぜなら、未来自体がなくなってしまうからです。あなたが一番頼りにしている「確かさ」を失ったとき、本質がそれそのものに気づくのです。