癒しのパラドックス

あきらめの悪い人っているものですね。そう表現すると、あまりいい感じがしませんが、要するにいつまでも自分の願望を自分に都合よく実現しようと粘るということです。

この世界の常識では、簡単にはあきらめないということは、肯定的なこととして受け止められています。何でもすぐに駄目だとあきらめるのは、何も成就しないと考えられるからです。

職を転々と変えてしまうことや、人間関係が長続きしないというのも同じですね。こらえ性がないというように思われてしまうのです。

けれども、ある程度やってみて、やっぱり違うと感じたり、思うような結果が出ないと判断できたときには、潔くあきらめるということも必要なことです。

忍耐強いということと、いつまでも執着してしまうということはまったく異なる心の有り様です。その違いをしっかり見極めることです。

心の底から潔いというのは、都合の悪いことから目を背けていては実現しません。本当のことをしっかり見据えることができたなら、人はおのずと潔くなるのです。

自分の心を癒していこうとするのなら、今までに手に入れたものをそのままにしながら癒しを進めるということは不可能なことだと理解することです。

なぜなら、それまでに獲得したものこそが、自分が癒されることを妨害している本当の原因だからです。

もっと単純にいえば、殊更癒そうとしなくても、それまで培ってきた自分や自分の周辺にあるものを、手放していく方向に意識を向けていれば、自動的に癒しはやってくるということです。

自分を癒そうとするのは、自己防衛であり、実はそれ自体が真の癒しを妨害するものなのです。このパラドックスにいつか気づいて欲しいものですね。