自己の本質を直接体験する

目を閉じると、今まで見ていたものが何も見えなくなります。そこには暗闇だけが広がっていて、ともすると怖い感じがしてしまうかもしれません。

けれども、本当はその瞬間、私たちは紛れもない自分自身の姿を見ているのです。見ているといっても肉体の目を使って見ているわけではありません。

肉体の目による視覚情報は、自己という源泉から流れ出た現象を映し出しているに過ぎません。それに強く依存しているために、視覚を閉ざしたときにしか自己の本質を見ることができなくなっているのです。

肉体の目を使わないでいるとき、私たちは自己を直接見ているのです。なんという愛しい自己の姿なのでしょうか。

このことに気づくと、目を開いた状態でもあらゆる現象が起きているそのバックに目を閉じたときに見えた自己の姿を見ることもできます。

同様にして、肉体の耳を使って特定の音や美しい音楽を聴いているときには、起きている現象を聞いているのです。

けれども、耳を澄ましてあらゆる音のバックに常に在り続ける静寂さに気づくとき、私たちはやはり自己を直接体験しているのです。

私たちは、日ごろ肉体の知覚に頼りすぎてしまい、起きている現象にのみ意識を向けるように慣らされてしまっているのですが、その背後に変わらずに在る自己へ意識を向けることができます。

そのためのどんな努力も必要ありません。なぜなら、すべての人の人生を貫いている普遍の自己が今この瞬間にただ在るのですから。