記憶が心に足跡を残すことが問題を作る

by Papaji

もし対象物が意識の中の現れにすぎないことを知っていれば、しがみつくことなしにそれと戯(たわむ)れることができる。

だが、たいていの場合そうはいかない。たいがいは欲望が起こり、快楽が続き、そしてその記憶が続く。問題はこうして起こる。快楽自体に問題はない。

ただその後でそれを回想することが問題をもたらすのだ。快楽は終わっても、記憶は残る。その残された記憶が同じ対象物から快楽を求めようとする欲望を起こさせるのだ。

そのようにして、それは無限に続いていく。

快楽に耽溺(たんでき)することは、何度も繰り返しそれを楽しもうとする欲望を生み出す。これがあなたの問題なのだ。

これがあなたに苦しみをもたらす。快楽が不在のとき、苦しみが起こる。なぜなら、その楽しみに戻ろうとする満たされない欲望がまだそこにあるからだ。

対象物を来させるがいい。それを楽しみなさい。そして忘れてしまいなさい。ひとたびそれを楽しんだなら、心から棄て去るがいい。それはもはや必要ないからだ。

レストランに行くとき、あなたは食べ、それからそのレストランを出ていく。あなたの空腹、食べ物の必要性は満たされたのだ。

なぜその後で食べ物のことやその楽しみについて考える必要があるのか? 精神的に快楽の体験を想い起こすことは、同じものをもっと得たいという欲望をもたらす。

記憶が心に足跡を残すことが問題をつくりだす。これが起こってはならない。それは欲望と苦しみをもたらすだけだ。