子供の頃、何でこの宇宙なんだろう?ということを思って、どうしても不思議で、腑に落ちない変な気分になっていたことがありました。
なぜこの宇宙でなければならないのか?なぜこの宇宙が在るのだろう?今もわざとこの思考にはまってあげると、同じような気分がやってきます。
けれども、子供の頃と今との大きな違いは、疑問が起きることそれ自体には疑問を感じなくなったということです。
つまり、思考というのは疑問がつきものであって、疑問を持たない思考などあり得ないということが分かったのです。
結果として、そうした疑問に対して思考が納得できる答えを得ることができないとしても、そのことでじくちたる思いになっても、それも思考の持つ特徴に過ぎないことも分かったのです。
思考の範囲で解説するとするならば、この宇宙であるための理由は特別何も無かったということです。思考が求める、「目的」、「意味」、「価値」などは架空の作り物だからです。
宇宙という現実においては、私たちは何一つコントロールすることはできません。本当は、コントロールしようとする主すら思考の産物なのです。
私たちが大自然を目にしたときに感じる、あの自然の神秘にはそうなるどんな目的もありません。この宇宙という自然には意図がないからです。
科学者は、いまだにこの宇宙の中になんらかの秩序を見つけようと躍起になっていますが、たとえ秩序が見つかったとしても、それはただそれだけのことで、そこには神の意志も何もないのです。
ただ一つだけ、私たちの本質である純粋な意識からやってくる現象としての宇宙を、大きな驚きを持って観ることに徹していればいいのだと思います。