私たちは、みな幼くして自我に目覚めたころから死への恐怖を持つようになっていきます。自分がいなくなるとは、どういうことなのかと考えるだけでとても恐ろしく感じるのです。
けれども、安心してください。私たちの誰もが死ぬことはありません。なぜなら、実在していないものが、いなくなるということはありえないからです。
死への恐怖とは、自分がここにいるという思いがあるからこそのものなのです。実際、自我に目覚める以前の幼児には、心理的な死への恐怖はありません。
自分という人物が実在のものではないと気づいたとき、本当の意味で死から開放されます。私たちの本質は、元々生まれてもいないのですから、死ぬこともありません。
死の恐怖は、自分という個人がここにいるという思考の中にしかないものです。今この瞬間でも、自我という思考が停止しさえすれば、恐怖は消え去ります。
つまり、自分がここにいるという想いも、その自分の死に対する恐怖も、どちらも思考によってでっちあげられた実在しないものです。
今この瞬間、私たちが思考を使って忙しく活動しているそのバックに、常に在り続けているもの、それは人間という個人の生き死にとは次元の異なるものです。
ただ在るというこの感覚は、思考を越えた表現不能の領域であり、そこはたとえ肉体が滅びた後でも、今この瞬間と同じままなのです。
私たちは、恐怖から逃れようとして思考を使うように仕向けられてしまったので、ますます恐怖がつのり、結局恐怖から開放されることがないのです。
逃げようとせずに、ただただここにあってただ在るという純粋な気づきへ意識をむけていれば、思考を越えた真実こそが私たちの本質であり、そこに恐怖は入る余地がないと気づくのです。