先日あるテレビ番組で聞きかじっただけなので、詳細は定かではないのですが、クロシジミチョウは幼虫のときに、女王アリが出す音をマネしてアリの巣の中で、アリに育ててもらうらしいです。
アリはその音にまんまと騙されてしまい、女王アリだと思ってせっせと栄養になるものを運んで来てくれるわけですね。
また、カッコウやホトトギスは、托卵(たくらん)と言って、違う種類の鳥の巣に自分の卵を産み落とし、そこで我が子を育ててもらうという習性があります。
産み落とすタイミングも絶妙で、託す側の鳥が卵を産む時期を見ているらしいのです。早すぎると、親鳥に見つかって卵は殺されてしまいます。
また、遅すぎると親鳥が生んだ卵が先に孵ってしまうため、これもまた育たないのです。カッコウの卵であることが親鳥にばれずに、かついち早く卵が孵化して、他の卵を下に蹴落とすことで、自分だけが上手に生き残るというわけです。
こうした話しを聞いていると、何だかとてもずる賢いというか、あまりにもやり方が姑息過ぎて、もっとまっとうな育て方があるだろうと言いたくなりませんか?
けれども、当たり前のことですが、クロシジミチョウにしてもカッコウにしても、彼らには自我というものがありません。
したがって、彼らのやり方が如何に不正を働いているように見えたとしても、それは単なる動物としての防衛本能の働きでしかありません。
私たち人間だけが、本当は「ただ起きていること」を思考によって裁いて、そこに正不正や善悪のレッテルを貼って見ることで、興味深い物語を作り出すのですね。
私たちの人生というものも、そうやって思考によりひねり出された物語であるということを、いつも忘れずにいられると深刻になることから開放されるはずです。