「否定しない」の反対は「肯定する」ではない

いつもクライアントさんに伝えていることがあります。それは、簡単に言えば自分の心の中にあるどんな気持ちや、どんな想い、どんな感情に対してもそれをそのまま受け入れて欲しいということです。

ところが、この「受け入れる」というのがどうもピンと来ないと言われてしまうのです。「受け入れる」ことは、意外に難しいと感じてしまうのかもしれません。

それで、別の言葉を捜すのですが、例えば「否定しない」と言い換えることができると思って、そうお伝えすると今度は「肯定する」という意味で受け止められてしまうことがあるのです。

国語として、否定の反対は肯定ですので、「否定しない」= 「肯定する」のように捉えるのは当然なのですが、ここでの「否定しない」は、「肯定する」とは若干ニュアンスが異なるのです。

「肯定する」には、「積極的に」肯定するというニュアンスが含まれているのですが、「否定しない」にはそれがありません。

つまり、単に否定しないというだけで、力を込めて肯定する必要はないのです。もっと言えば、本当は積極的に肯定も否定もしないということ。

そのまま、だたあるがままを見るということなのです。一般的に、好きの反対は嫌いということになりますが、無防備な心においては好きの反対は単に好きではない、なのです。

なぜなら、「嫌い」には積極的に拒絶するというニュアンスがあり、それは心理的防衛がベースにあるからです。拒絶がなければ、ただ好きか好きではないがあるだけなのです。

「肯定する」に含まれる積極的にというニュアンスには、ともすると防衛の要素が見え隠れする場合があるように思うのです。