白いキャンパスとしての自己に気づく

原理的には、私たちの誰もが概ねまっさらな心の状態で生まれてきます。それは、まだ何も描かれていない真っ白なキャンパスのようなものですね。

真っ白だからこそ、はじめの数年間に描かれた絵、つまりその間に経験したことやそれにどのように反応したかがとても大きなインパクトとして残ることになるのです。

真っ白な心は、それこそ無防備な状態なので、どんなことでもそれを敏感なアンテナのように拾い上げて、強い影響を受け続けるのです。

その結果、その人のそれ以降の人生がどんなものになるのかといった大きな方向性が決まるのです。最初の数年間に赤色の土台を作った人は、赤色のビルディングを建てることになるのです。

幼児期の体験とその反応によって、赤色の土台を組み立てた人が青色のビルディングを建てるということはあり得ません。

幼いころに決意したことは石のように固く、よほどのことが無い限り大人になってもそれを覆すことはありません。

また、その頃に思い込んでしまったことは、単なる独りよがりなどと言うレベルでは済まされないくらいに、強烈に信じ込んでしまい、それはもうほとんど真実として本人の心の中にありつづけるのです。

その一つが、自分がここにいるという想いです。私たちの誰も、自分はここにはいない、などと思いながら過ごしているはずはないですね。

それは誰もが認める動かしがたい事実のようにみてしまっています。そして、それをベースとした必死の自己防衛がスタートするのです。

だからこそ、私たちの誰もが苦しみの原因として続けてきた自己防衛などは、それこそ筋金入りなのです。それを止めることは至難の技です。

けれども、どこまでもとことん自分に正直に向き合うということを徹底することで、次第に何重にも塗りたくられた絵の最下層に残っている真っ白なキャンパスを見つけることだって不可能ではないのです。

赤ちゃんの頃は、自分が真っ白なキャンパスであると気づくことはできませんでした。でも、一度塗りたくられた絵の具の層を丁寧に見つめていくことで、真っ白なキャンパスとしての自己に、今度は明確に気づくことができるのです。

人生の本当の目的があるとしたら、それを探し出すことではないでしょうか?