もうすぐ8月が終わりますね。子供の頃であれば、もう少しで夏休みが終わってしまう、という何ともやるせない気持ちになったものです。
そのときに、自分なりに編み出した心を安らかにする方法があって、それは9月になって登校してこの目で校舎を見るまでは、校舎が以前のままにあるとは言えないというものでした。
このことは、以前にもどこかに書いたことがあるのですが、このやり方というか、この感覚は自分にとって自然なものとなっていきました。
大人になって、量子物理の世界においては「知覚できないものはその存在が不定である」という理論があることを知って驚きました。
まさか、自分が子供のころに感覚として感じていたことが、物理学の世界では当たり前のことだったとは…。
そしてそれは、観察するということが現代科学の根っこなのだということからして、真実は科学では到達し得ないというところまで自分の中で繋がっていったのです。
この世界で唯一知覚することができないもの、それが一人称の自己なのです。指先を自分の顔に向けて、その方向にどこまでも見続けていくのです。
それが無限の深みにまで行ってしまうということを見ることで、自己の本質はこの宇宙を包含しているということに行き着くのです。
暑苦しい日がいったいいつまで続くんだろうと思っていたものが、朝少し涼しくなるとどうも名残惜しいような寂しい感じがやってくる、今日このごろ。徒然に自分の中にある感覚を書いてみました。