小学生の頃、先生や親によく言われたことの中に、「もっと丁寧に文字を書きなさい!」というのがありました。その頃の感覚としては、文字として認識できればそれでいいというのがあったのでしょう。
生まれながらのせっかちな性分なのか、自分ではとてものんびり屋だと思っていたりもしたのですが、どうやら相反する両方の性格をもっているみたいなのです。
長いこと生きてきて今感じているのは、のんびり屋の部分よりも圧倒的にせっかちな方が勝っているということです。そのせっかちさが災いしてなのか、物事を丁寧に行うということが不得意なのです。
食事に行っても、食べ終わったらすぐにお店から出たくなるため、ゆっくりそこでくつろぐということが苦手なのです。これをただの性分として済ましているのはどうなんだろうと考えて、その奥にあるものを見てみたのです。
すると、そこには時間に対する恐怖があると気づきました。時間というものをいつも気にしている心の部分があるのです。有限である時間を常に節約したいらしいのです。
だから一度書いて消してしまうようなホワイトボード上の文字などは、できるだけ早く書こうとしてしまうのです。急いで書いたところで、大した違いはないはずなのですが…。
さらに言えば、時間に対する恐怖とは、きっとこうしている間にも時間は刻々と過ぎて行き、それは一歩一歩死へと近づきつつあるということにも繋がるのです。
死が迫ってきているのに、のんびりとこんな体たらくなままに過ごしていてはいけないという、焦りのような感覚を持っているのかもしれません。
これでは未来への不安と共に生きている、と言われても仕方ありませんね。そのことに気づいたので、これからはなるべく意識して、何をするにも丁寧にしてみようと思うのです。
丁寧に呼吸する、丁寧に道を歩く、丁寧に運転する、丁寧に食事をする等々。すべてを丁寧にしようと心がけると、今という静寂さを感じることができそうですね。
それは、意識を内側へ向けている時とすごく近い感じがします。なぜなら、その場合にも自分の動作がゆっくりとしたものになるのを感じるからです。相通ずるものがあるのでしょう。
せっかちな自分にとっては、少々やっかいな感じもするのですが、できるだけ心がけて丁寧に生きるようにしてみようと思うのです。
瞑想したり、内側へ意識を向けることが苦手だという人は、しっかりと今にいる実感を得るためにも、この丁寧に行為するというのを実践してみるのもいいかもしれませんね。