理不尽さはエゴの餌

この世の中、どうにもこうにも理不尽なことがてんこ盛りにあると思いませんか?人には人の、他国には他国の事情というものがあるのは分かりますが、それにしても理不尽さは尽きることがありません。

その理由は、私たち自身がそれを探し求めているからです。といったら、とんでもないと反発されるでしょうね。理不尽さを必要としてる人など、どこにもいるはずがありませんから。

けれども、本当のところ私たちは、理不尽なことを常日頃から心の奥底では期待しているし、それを楽しみにもしているのです。

なぜかというと、理不尽さというものは自我(エゴ)にとっては、またとない美味しいご馳走だからです。エゴは理不尽さを見つけ出すと、活き活きとしてきます。

なぜあの人はあんな言い方をするのだろう?あの国はどうしていつもあれほど我が国に対して難癖ばかりつけてくるのだろう?そして、理不尽さを認識している自分とは、間違いなく「まとも」なのです。

理不尽なことをする人は正気ではないけれど、それを理不尽だと認めることができる自分はいたって正気だということです。つまりは、自分が正しいということを証明できるわけです。

さらにいえば、その理不尽さを何とかしようとすることで、エゴは闘い続けることができるというおまけつきなのですから、エゴはいつだって理不尽さを求めているのです。

私自身は、できるだけ思考を緩めるようにと瞑想をしてみたり、意識を内側へと向けたり、さまざまな取り組みをしているのですが、それはエゴにとっては甚だ不都合なわけです。

そのために、適当に理不尽な体験を引き寄せることで、私にまた闘いのリングへと向かわせようとしているのです。闘いのリングに上がってしまえば、もうそこは思考のルツボと化すのですから。

もしもあなたの身に理不尽さがやってきたとしたら、まずは心の中に起こる反応をあるがままに感じることです。それは、怒りだったり恐れだったり悲しみだったりするでしょう。

感情さえ感じることができたなら、実際の行動は文句を言うでも黙ったままでいるでもどちらでも構いません。そして、それを見ている自分を常に見つけることです。

そして、理不尽さはエゴの餌だということを意識することです。感情を味わった後は、思考が後を引かないように気を付けることも忘れないで下さいね。

このようにすることで、理不尽さに溺れずに済むようになっていくはずです。そして最終的には、常に思考が緩んだ状態になることで、理不尽さは壊滅することになるでしょう。