他人を気づかうということ

グルジェフという人がよく言っていた言葉で、次のようなものがあるそうです。

『けっして、けっして他人を気づかってはならない。それは侮辱だ』

この言葉には、非常に深い意味があるように感じるのです。大抵、私たちは互いに気遣い合うことで、人との関係を円滑にできると思っています。

それは勿論表面的には正しいのかもしれませんが、一体気づかう本当の理由とは何なのか、そこのところをしっかり見つめてみる必要があると思うのです。

相手のことを気づかう主な目的は、二つあるのかもしれません。その一つ目は、自分自身が相手に気づかって欲しいという思いがあって、それを期待しながらまずは相手を気づかうことにする、ということです。

これは言ってみれば取引のようなものです。自分も話しを聞いてあげるから、私の愚痴も聞いてよね、という感じに近いかもしれません。

そうやってお互いに相手を思いやっているということで、二人の仲がうまく行くということですね。この関係というのは、どちらか一方が気づかってもらいたくないと思っていると、成立しないことになります。

謙虚な人は、自分を気づかってもらいたいなどとは思っていないのです。したがって、気づかって欲しいという願望は、エゴのものだと言えそうです。

そして、もう一つの相手を気づかう目的とは、恐怖からの逃亡なのです。気づかいのできない自分は、相手から否定的に思われてしまうかもしれないし、嫌われてしまうかもしれない。そのことへの恐怖や不安なのです。

あるいは、相手を気づかってあげられなかった自分は、相手に悪いことをした。そのことに対する罪悪感がやってくるのが怖くて、それから逃げようとしているということ。

いずれにしても、気づかうことは素晴らしいことだと断定的に捉えている場合が多いかもしれませんが、本当は自己防衛だということです。

だからこそ、恐れが少ない人ほど、他人を気づかうということを殊更しないのです。