エゴとは卵の殻のようなもの

osho の表現の素晴らしさを、少しだけおすそ分けします。

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エゴはひとつの副産物だ。あなたの成長の副産物だ。生の自然な歩みの副産物だ。それは必然だ。ほかに道はない。

エゴを伴わない進化はない。でもある時点で、エゴは落とせるようになる。そうしたらエゴを落とし、超越することだ。

エゴとは、ちょうど卵の殻のようなものだ。それは保護層として必要だ。ちょうど種子の殻のように、保護層として必要だ。

でもその保護は、危険なものとなる。その保護が過剰となり、いつまでも種子の発芽を許さないようであれば、それは妨げとなる。

種子は、土の中に溶け去るものだ。そうすれば内側の生が現れる。種子とは死ぬものだ。

人はみな種子として生まれる。エゴは外皮だ。子供を守っている。もし子供がエゴなしに生まれたら……「自分は存在する」という感覚なしで生まれたら、生き残れない。

自分を守ることも、戦うこともできないし、存在するに必要なことが何もできない。だからまず強力な中心が必要だ。

たとえそれが偽りであろうとも必要だ。でもある地点に至ったら、この補助は妨げとなる。それはあなたを外側から守っていたが、強くなりすぎると邪魔になる。

内なる存在の邪魔になって、あなたはもはや、広がったり、それを超えたり、発芽したりできなくなる。エゴは必要だが、いつかは超越しないといけない。

エゴを持って死んだら、それは種子のまま死んだということだ。自らに可能であった宿命を成就することなく、意識的に<存在>を成就することなく、死んだということだ。
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