起きることが起きる

クライアントさんと初めてセッションでお会いした時に、ああ、この人の場合はそう簡単ではないなあと感じることがあります。

それは、とても洗脳が深かったり、強いエゴが正しさで防衛していたり、思い込みが強烈だったりして、私の言葉がその人のハートに入っていかない感じがするからです。

そのことと、その人の苦悩の深さや社会生活の良し悪しなどが、必ずしも比例するわけではないのですが、私のエゴはじれったいと感じてしまうのです。

ところが、そんなクライアントさんがしばらく通ってきている間に、あれっと思う間もなく変容してしまうことがあるのです。そんなとき、私の見立ては何だったんだろうということになります。

とても嬉しい期待外れに遭遇して、起きるときには起きるものなんだと改めて思わされるのです。癒しというのは、本当に不思議なものですね。

そうしたことを何度も経験してきたせいか、あるいは何かほかの理由があるのかは分からないのですが、クライアントさんに対する思い入れみたいなものが薄れてきているようです。

こう言ってしまうと、なんだか冷たい奴になったと思われてしまうかもしれませんが、セッションを通して自分なりに作っていた期待そのものが、小さくなってしまったようなのです。

生きるうえでの何らかの不自由さを感じて、それを何とかしたいという一心でいらっしゃるクライアントさんの姿を目の前にすれば、誰だってその期待に応えたいと思うのが人情というものです。

けれども、そうした人情のレベルが次第に小さくなってきているということなのでしょうね。期待すればそれは裏切られるし、生とは期待通りには決してならないということに腹の底から気づかされたのだと思います。

起きることは起きるし、起きないことは起きないのです。期待はエゴの範疇であって、決して今この瞬間のものではありません。それは未来に対する欲求でしかないのですから。

生を解き明かすことは不可能です。私たちにできる最善の生き方とは、生と共に流れ、生が連れて行ってくれるところにただ従って行くことなのです。