マインドとは精神活動のこと

もしもある時に、ふと「何もやることがないなあ」ということに気づいたとしたら、あなただったらどうしますか?テレビもビデオも見たくないし、本や雑誌も読みたくない。

誰かと話しをするでもないし、家事仕事も終わった。さあ、たった独りでいてそうなったら、どうでしょうか?それでも、無理やり何かやるべきことを捜すでしょうか?それとも、何もせずにただその場でじっとしているのでしょうか?

そんな事態を経験したことがないから分からないという人もいるでしょうね。あるいは、やはり何もせずにいるということをしたことがないので、きっと何か捜してやり出すに違いないと思う人もいるはずです。

そして、ごくごくほんの少数の人たちだけが、ただ何もせずにいるということを選択するのかもしれません。私の場合、それが自宅か事務所であれば瞑想するでしょうね。

私たちのマインドは、常に活動していなければならないのです。表現を変えれば、精神活動というものこそが、マインドであるとも言えるのです。

したがって、活動していないマインドというものはありません。精神活動がとまったときには、マインドというものは存在しなくなるからです。

これこそが、あなたが何かをしていなければいられない理由なのです。何もすることがなくて、身体は動かさないとしても、きっとあなたは思考の中に入って、ああでもないこうでもないと始めるはずです。

マインドとは、固定しておくことができないものだからです。そしてこのマインド、つまり精神的な活動こそがあらゆる苦しみの根源なのです。

マインドの中で渦巻いている思考がなくなれば、そこに苦悩が残ることはありません。ただし、痛みはなくなりません。痛みとは、ハートで感じるものだからです。

苦しみと痛みの違いとは、マインド(思考)とハートの違いだと理解すればいいのです。話しを元に戻して、もしもあなたに何もすることがない状態がやってきたなら、それは絶好のチャンスです。

何もせずにいるチャンスです。肉体的な活動だけでなく、精神的な活動もストップして、常にマインドという主人に従属してきた仕返しをするチャンスなのです。

マインドは悲鳴を上げるはずです。その悲鳴をただあるがままにハートで感じてあげてればいいのです。少しでも手持ち無沙汰を解決しようとしてしまえば、マインドが活動を始めてしまうでしょう。

もしも、日ごろから瞑想を習慣にしているなら、そんな時に困ることもありません。退屈は、マインドにとっては恐怖そのものですから、それもそのままに感じていられるといいですね。

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