「個人病」という病魔

昨日のブログで、誰のマインドも正常に狂っているというお話しをしました。正常に、という真意は、それが私たちのマインドの通るべき当り前の状況だからです。

マインドが患っている病気とは、自分という個人がここにいるということを固くかたく信じてしまった、そういう病態です。それは誰もが一度は罹って、多くの人たちはそのまま死んで行くのです。

その病気は、太古の昔から脈々と伝わってきた伝染病のようなもので、何人と言えどもそれに抵抗することはできなかったのです。そしてそれは、決して悪いことではありません。

その「個人病」に罹らなければ、私たちはこの社会の一員として生きていくことすらできないのですから。仮に、この個人病を免れた人がいたとしたら、彼は精神病棟行きになるはずです。

彼は誰よりも真実を訴えることでしょうけれど、そんな言葉は誰にとっても戯言にしか聞こえないのですから。だから個人病はマストなのです。

ただし、この病気があまりにも現代の人類にとっては、荷が重い状態まできてしまっているようです。もっともっと素朴な時代には、その病魔から抜け出せる人が沢山いたのです。

それが今は末期的状態まできてしまって、人類は追い詰められてしまった感がぬぐえません。どのニュースを見ても、神は人類についてもうあまり期待していないのかもと思わざるを得ない状況です。

インドで産声をあげて、中国を経由して日本にやってきた禅は、この私たちの国で花開くことになったのですが、それも今となってはほとんど消えかけてしまいました。

それを挽回する意味で、私のようなド素人でも、瞑想をするような状況がやって来ているのかもしれません。そんな大そうなことを考えなくても、自分ができることをコツコツしていくしかありませんね。

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