自分がいるという幻想を見る

誰もが2~3歳くらいの頃に、自我(自分がいるという思考)を作り出すのです。これは、人類にとって本当に画期的な思考だったわけです。

なぜなら、人類の苦悩がそこから生み出されることになったからです。自分がいるという思考は、他人も同じようにいるという思考をも生み出します。

そして、一旦出来てしまった自分はいるという思考は、それ以降の体験のすべてを、自分の体験であるとして記憶システムへとしまうことになったのです。

だからこそ、自分というイメージは日ごとに膨らみ続けて、あっという間に私たちのような人格のようなものとなっていくことになるのです。

そうです。人格(人物)としてのあなたは、幼児の頃に作り出した、たった一つの思考が基となって作り上げられた張りぼてのようなものに過ぎないのです。

つまり、あなたというエゴは存在しないのです。それはまるで影のようなものだと思えばいいのです。影はあたかも存在しているように見えても、それが実在の何かではないということを私たちは知っています。

影とは光の不在であるに過ぎません。あなたという人物の存在も、それと全く同じようにして、意識の不在だと思えばいいのです。

だからあなたが、より意識的に生きるようになれば、あなたという人物が単なる思考の連鎖からでっち上げられた実在しないものだと理解するようになるはずです。

この世界に誰かがいた試しは一度もありません。自分がいるという思考の解説を、ただ見ること。これができるようになったとき、ものごとはただあるがままにただ在ると知るのです。