以前このブログで、真の感謝にはどんな理由もないということを書いたのですが、それと同じようにして本当のしあわせには、何の条件もないのです。
私たちは、しあわせを求めて外側へと進んでいくのです。あれが実現したら、これが手に入ったら、きっとしあわせになるとして頑張るのです。
つまり、自分がしあわせになるための条件を自分自身で作っておいて、それを目標として外側へと出かけていくのです。ところが、残念なことにその条件をクリアしてしばらくすると、次の条件を作り出すのです。
クリアしてしまった条件では、大したしあわせは手に入らないことを悟ってしまうからですね。そして今度こそはという条件を作って、新たな船出をするのです。
そして、この生き方を延々と続けることになるのです。つまり、しあわせになるための条件を設定して、それをクリアするや否や、更なる条件設定とそれに向けての人生。
なぜそんなことになるのかと言えば、冒頭書いたとおり、真のしあわせ、永遠に続くしあわせにはどんな条件もありはしないからです。
真のしあわせは、外側にあるわけではなく、自分の内側にこそあるからです。私たちは初めからそのしあわせを内側に携えてやってくるのです。
それなのに、内側には目もくれずにひたすら外側へ外側へと進んでいくので、それだけ内側にのみあるしあわせから遠ざかる一方になってしまうのです。
内側にあるので、どんな条件も設定するわけにはいかないのは当然のことです。こうしたことは、どこかで気付いているはずなのに、まだまだ外側に対する魅力が根強いのですね。
内側に向かうのは、いつどこでもできることです。あなたのしあわせは、あなたの肉体よりももっとあなたに近いところにひっそりと隠れているのです。