誰もが愛を求めているはずなのに、残念ながら本当に求めているのは安心なのです。求めているという時点で、それは欲望であり、期待なのですから。必要とされるのも同じこと。
例えば、恋人が自分を求めていると知ることは嬉しいことですね。会いたいと言われれば、それだけで気持ちが明るくなったりするかもしれません。
あなたが必要だと言われれば、それが相手からの愛だと感じるからなのですが、実は求められて安心しているだけだということです。
もともと、安心したいという気持ちの裏には、不安があるのです。そして、自分を求めている相手も同様にして、あなたを手に入れて安心しようとしているだけなのです。
結局、あなたを求めている相手も安心したいだけだし、求められて嬉しいあなたも安心したいだけなのです。そこには、どちらにも愛はありません。
愛は安心とはまったくもって無縁のもの。愛の特徴は、自分が不安なのか安心なのかに無頓着です。だからこそ、愛に何かを求めるという要素は皆無なのです。
安心を求めるあらゆる自己防衛から離れていかない限り、愛が表舞台に顕われることはありません。その代わりに、愛という名前の別のものが横行することになるのです。
それが、エゴの愛です。それは欲望であり、期待であり、原動力は不安や恐怖なのですが、これがなければどんなドラマも成立しませんね。
ドラマチックな人生には魅力がありますが、そこに愛を見出すことは難しいでしょうね。けれども、人は沢山のドラマを生きて傷つき、初めて愛に向かう準備ができるのかもしれません。