どんな人生が理想的な人生かと問われたら、大概はその人の希望や欲求が叶う人生、本人の願い事が実現する人生だと思われるかもしれません。
たしかにそんな人がいたら、とても羨ましいと思ってしまうはずです。それは当然のことですが、でもちょっと待ってください。本人のことは本人にしか分からないのですから。
考えてみると、私は自分がこうなったらいいなとか、ああなれたらいいのにと思っていたことが、かなり実現してしまっているのです。
これは驕りでも自慢でもありません。冷静に思い返してみたときに、そんな気がするのです。勿論、100%というわけにはいかないのですが…。
でも嬉しいのは一時的なものであって、そのうちには実現したことが普通に感じられるようになるのです。会社員の頃に、自分独りで仕事ができたらどれほど楽だろうと思っていました。
仕事に追われずに、自由な感覚で生きることができたらいいのにとも思っていましたが、それは間違いなく実現してしまっています。
最近だと、瞑想や星見のできる完全にプライベートな空間が欲しいと思っていたところ、気が付いたら手に入っていました。
毎日、露天風呂生活ができたら快適だろうと思っていたら、それも叶っています。けれども、身体の快適さはずっと続くものの、マインドの喜びというのは日ごとに小さくなっていっているのです。
実現する以前の生活のことを思い返せば、それと比較することで現状に感謝する気持ちも出てきますが、そんな思考を働かせずにいるなら、今が普通になってくるのです。
結局、何が手に入ろうが、どんな嬉しい出来事が起きようが、そのときの興奮や感動は過ぎ去っていくものなのです。だから、幸福感など起こりようがないのですね。
苦しい人生も嬉しい人生も、どんな人生であれ、外側からくるものに至福をもたらしてくれるものなど一つもありません。すべては一過性の刺激でしかないのですから。
だったら、どんな人生であれ大して変わりはないということ。自分の人生と誰かの人生を比較しても、まったく意味がないということです。
人のために役立つ人生だったら満たされるはずと思うかもしれませんが、それも一過性のものです。こうしたことに深く気づくともっとラク~に生きることができるようになるのですね。