不可能というアート

エゴはできないよりもできることに価値があると信じています。不可能よりも可能であることが優れていることだという思い込みです。

けれども、本当の救いは不可能性からやってくるのです。例えば、もしもあなたがウソをつくことができないなら、苦しみは消えていくのです。

何か都合の悪いことを隠すことが可能だと思うからこそ、マインドが分裂してしまうのですから。本当はどんな隠し事も不可能だと知れば、ただあるがままで生きることになるのです。

私たちの誰もが、価値のない存在になることなど不可能なこと。価値がないと思い込むことだけは可能ですが、実際に価値がなくなることはあり得ないのです。

もっと言えば、すべてが分離しているというのも幻想であり、リアルな実在は分離することなど不可能なことなのです。そして、エゴが存在することさえも不可能なこと。

私たちの実在が死ぬということも不可能なことです。真実は、あらゆる不可能なこととして表現することしかできません。

あなたが、マインドの中にいるということも不可能なことです。瞑想はマインドから離れることだと表現したりもしますが、それは単なる方便に過ぎません。

どうやったところで、あなたはマインドの外にしかいられないのですから。マインドとの自己同化をなくせば、すぐにそのことに気づくはずなのです。

その不可能性に気づくなら、歓喜することになるかもしれませんね。