あなたの内なる実存は<観照者>だ
それは決して<行為者>じゃない
あなたがそれを行為者と思い込むときには
必ずそこには同化がある
それは決して行為者じゃない
あなたが地上を残らず歩き尽くすことはできても
あなたの内なる実存は一歩たりとも歩きはしない
by osho
私たちが何かを見るとき、そこには3つの要素があります。それは、対象を見ている自分、そして見られる対象、最後に見るという行為。この3つが揃って、初めて見ることができるのです。
一方、↑この場合には大きな違いがあるのです。<観照者>という表現は分かりやすくするためのものであって、観照する誰かがいるわけではないということです。
つまり、観照される対象と観照(気づいている)の2つの要素だけがあるのです。観照は誰かの行為ではありません。そこを間違えないことです。
「あなたの内なる実存」= 「観照(気づき)」ということです。だからこそ、あなたが地上を残らず歩き尽くしても、観照が歩くということはないのです。
ちょうど、広大な宇宙を舞台にしたスターウォーズという映画を映し出すスクリーンがまったく動かずにあるのに似ています。
観照とは、この宇宙、この世界を映し出すスクリーン、背景だと思えばいいのです。背景こそが全体性なのです。
街を歩くときに、背景に意識を向けて置くようにして見てください。決して、歩いてなどいないという微かな感覚がやってくるはずです。