なんだかんだ言って、私たちは自分のマインドを信じているのです。外側の世界は得体が知れないのですが、慣れ親しんだ自分のことはある程度分かっているし、だから信用もしているのです。
ときには、自分のことが信じられないと訴える方もいるのですが、そう訴えている自分のことは信じているわけですから、これは大そうな矛盾です。
冷静にマインドの生い立ちやメカニズムを観察すれば、それが信じるに値するものではないことがはっきりしてしまうのです。
マインドには考えることしかできません。それは分裂を前提にしているからです。その結果、信じるか信じないかの世界しか分からないのです。
であるなら、まずはマインドを信じないようにしてみればいいのです。これも矛盾するのですが、矛盾を承知で自分のマインドが主張することを信じない立場をとるのです。
信じないというよりは、疑ってかかるという表現の方が適しているかもしれません。そうすると、自分のマインドのクセ、習性のようなものが見えてきます。
そうやってマインドのことを深く理解することができるようになってくるのです。それはすでに信じないということを超えてしまっています。
そして信じるとか信じないといったマインドの世界から距離を取ることができるようになるのです。もうマインドと闘う必要がなくなるのです。
マインドを改善しようとする代わりにその正体を見抜くことができれば、マインドから解放されるようになるはずです。
そしてノーマインドの状態こそが、覚醒するということなのです。