宇宙的同時存在性

一度理解したら、あなたはくつろぐ–。あなたは<宇宙的同時存在性>のなかにくつろぐ。私が「自然でありなさい」と言うときに意味することはそれだ。自我は不自然な欲望をあなたに持ち込む。それはあなたの気を狂わせる。生は単純だ。が、単純であるためには、人は無目的にならねばならない。

by osho

自分とは、この世界この宇宙の中にありながらも、そこから分離独立した個人としての存在だという、しつこい思い込みで成り立っています。

真実はそうではないので、その間違った思い込みを維持していくためには、さまざまな努力や工夫が必要になってくるのです。

それをやっているのが自我(エゴ)というわけです。私たちが独自の目的を持とうと常にしているのはそのためです。

独自の目的のために生きるなら、その生自体も独自のものとなると信じているのです。独自の欲望、独自の考え方、こうした他者との違いが決定的に大切なのです。

人と同じではいやというのは、そういうことですね。そうやって、生を複雑なものへと変えていくのです。

自分が特別だと思えるのなら、自我はどんな手段でもいとわないのです。大金持ちになったり、首相になったり、難しい病気になってみたり、はたまた類い稀な善人にもなろうとします。

真実はとても単純です。思考では把握できないくらいにシンプルなのです。だから自我にとっては苦手なのです。

それが何であれ、特別ということはありません。すべては無から立ち上がって来た現象であり、何もかも境界があるかのように見えるだけです。

自我の目が落ちたなら、宇宙的同時存在だけが残るということですね。

 

“宇宙的同時存在性” への2件の返信

  1. 宇宙的に同時に存在していると言われると、自分というものがぎゅーんと縮んでいなくなったり、ぼわーんと膨張して果てしなく広がっていくイメージが湧きました。自分というものは本当はいないんだと、頭で理解しようとするより、あれあれ、どっちだっけ?まあいいか、どっちでも、どうせ宇宙的に同時に存在してるんだからと、大きな気持ちになりました。宇宙的同時存在って言葉、いいな、と思います。

  2. ぎゅーんと縮んでいなくなるのと、ぼわーんと膨張して果てしなく広がるのも、どちらも同じことです。それは、無と全体が同じということですね。

    どんな理屈よりもそれを素直に感じていることの方が何倍も大切です。なぜなら理屈はマインド(エゴ)のものであって、感じるのはハートだから。

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