物語性を見抜く

私たちが、自分の人生について語る時、「こんな人生を手に入れることができた」というように、肯定的に表現することもできます。

一方では、「こんな人生になってしまった」とか、「こんな人生に気がついたら放り込まれていた」のように、なんとなく否定的に言うこともできますね。

どちらにしても、本当に大切なことは人生の物語性に気づいていられるかどうかということです。なぜなら、その物語は事実ではないからです。

誰がその物語を使ったかと言えば、自分のマインドなのです。ここをどれだけ見抜くことができるかが鍵となるのです。

マインドの潜在意識部分はきっとほとんどが、物語の中に没入したままになっているので、物語性を見抜くとしてもマインドのごく一部だけなのでしょう。

物語性を見抜く力が大きくなればなるほど、マインドの闇に隠れた部分も小さくなっていくのです。

そして最終的には、この世界から物語性が消えて、すべてがあるがままに見えるようになったなら、そのときにはマインドそのものが消えていくのです。

後に残るのは、幸不幸や善悪、正不正などがすべて消えた世界、永続的な至福だけになるということですね。

…という物語の中で、今日もそれを楽しむとしますかね。

 

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